娘が話さなくなった…家族と話さない繊細な娘の気持ちって?

娘が家族と話さない。そんな娘の気持ちがわからない。
そうすると、娘にどう接していいか分からなくなりますよね。
実は私は、ある時から大人になるまで、ほとんど家族としゃべりませんでした。
今は結婚して子供がいるので、両親やきょうだいとは別々に暮らしています。
そのおかげか、今では両親やきょうだいと話すようになりました。
ただ、それまで何年にも渡って家族と話さなかったんですよね。
そこで当時を振り返って、家族と話さない娘の気持ちと、その時に母にどうしてほしかったか?をお伝えします。
娘が話さなくなったのはいつ頃から?
私が家族と話さなくなったのは、小学校高学年からです。
初めは父と話さなくなり、次に兄、そして最後には母と話さなくなりました。
母とは中学生の途中くらいまでは話していたと思いますが、高校生の頃にはほとんど会話をしていませんでした。

小さい頃は、兄と一緒に遊んでいたし、父もよく遊んでくれました。
家族での会話はそれなりにあったと思います。
でも、だんだん大きくなるにつれ、会話は減っていきました。
家族と話さない繊細な娘の気持ちって?
その時、娘である私はどのような気持ちだったか?

恥ずかしかった
まずは「恥ずかしかった」というのがあります。
思春期になって、友達や学校のことを言うのが嫌になったんです。
もともとあまり話す方ではなかったですが、恥ずかしさが出てきて、ますます話さなくなりました。

特に私は、とても繊細な性格だったので、恥ずかしさが人の何倍もあったと思います。
だから親にあれこれ言われるのが嫌だったし、あれこれ思われるのも恥ずかしかったです。
そのため、両親や兄と話さなくなりました。
否定されるのが怖かった
また、「否定されるのが怖かった」というのもあります。
母はとても真面目な性格なので、例えば私が「○○がほしいな」と言ったら、「そんなものが欲しいの?」と言うんです。
何というか、それが買えないなら買えないで、「○○だから買えないよ」と言ってくれたら良かったんです。
でも母の言い方だと、「それを欲しいと思った私」を否定しているような気がしたんですよね。

そのようなことが多かったので、自分の思いを言ったら否定される。
そんな気がして、だんだん話さなくなりました。
母がいつも疲れていたので話しづらかった
また、「母がいつも疲れていたので話しづらかった」というのもあります。
私の母は専業主婦でしたが、兄と私の子育てが大変だったのか、いつも疲れていました。
だから、気軽に話しかけれる雰囲気ではなかったんですよね。

それに母は真面目でしっかりした性格なので、あまり冗談とかは言わないんですよね。
「どうでもいい話」とか「くだらない話」はしないので、話しかけにくかったのもあります。
だから、だんだん話す内容が「必要なことだけ」になっていきました。
どう話したらいいか分からない
そして、家族と話さなくなってから長い期間がたつと、だんだん どう話したらいいか分からなくなっていました。
ちょっと話したいことがあっても、今さらどう話せばいいか分からなかったんですよね。

確かに、今までほとんど家族と話さなかった娘が、急に話すようになったらビックリしますよね。
だから、話したいと思うことがあっても、驚かれるのが嫌で話すことができませんでした。
このように当時の気持ちを振り返ると、私の母はちょっと厳しい人なのかと思われるかもしれません。
でも、母は真面目で優しい性格です。
両親ともに、子供への愛情は深かったと思います。
だから、私が家族と話さなくなったのは、私の性格の問題が一番に大きいです。
私が繊細すぎる性格で、母のちょっとした言葉や表情に傷ついていたんですよね。

きっと両親は、そんな繊細すぎる私のことを理解できなかったと思います。
そしておそらく、今も理解していません。
私のことを「繊細」というより、「プライドが高い」と思っていると思うんですよね。
プライドが高いから家族と話さないし、自分の弱みを見せない。

母にどうしてほしかった?
このように繊細すぎて家族と話さなくなった私ですが、「母にこうしてもらえたら、もっと話せたのに」ということがあります。
私は何年にも渡って家族と話さなかったですが、本音では気軽に話したいと思っていたんですよね。

具体的に母にどうしてもらいたかったかというと、次のとおりです。
いつも笑っていてほしかった
やはり一番はこれです。
母にはいつも笑っていてほしかったです。
そうしたら、私も話しかけやすかったと思います。

だから、家事や育児で大変だったと思いますが、手抜きをしてもいいから笑っていてほしかったです。
何を言っても否定しないでほしかった
そして、何を言っても否定しないでほしかったです。
もちろん、人に迷惑を掛けることなどダメなことを言った時は、怒られても仕方ありません。
でも「○○がほしい」とか「○○と思う」という私の考えは、否定しないでもらいたかったです。

できることなら、気持ちに寄り添ってもらいたかったなと思います。
ダメな自分も認めてほしかった
また、ダメな自分も認めてもらいたかったなと思います。
私は母と同じで、とても真面目な性格でした。
だから、どんなことも一生懸命がんばっていましたが、何となく頑張らないと母に認めてもらえない気がしたんですよね。

だから、例えば何かをサボるなんて怖くてできなかったし、ダメな自分を母に見せることもありませんでした。
でも本音を言えば、ダメな自分でも母に笑って受け入れてもらいたかったです。
くだらない冗談やどうでもいいことを言ってほしかった
また母には、くだらない話もしてもらいたかったと思います。
テレビで見たどうでもいい話や、近所で起きたおもしろい話など、何でも良かったんですよね。
どうでもいいけど笑える話をしてもらいたかったです。

母のダメな面を見せてほしかった
そして、母のダメな一面も見せてほしかったと思います。
母は真面目でしっかりした性格なので、子供に情けない言葉を口にはしませんでした。
例えば「ご飯作るのめんどくさい」とか「お風呂入るの嫌だな」とか、だらしない言葉は口にしなかったんですよね。
ただ、よく昼寝はしていたし、部屋の掃除はあまりしていませんでした。

でも、それを口にして「掃除は面倒だ」などは言わなかったので、母のダメな一面を見たかったと思うんですよね。
もし母のそんな一面を見ていたら、私も気楽に過ごせていたと思うんです。
そして、もっと気軽に家族と話せていたと思います。
だから、もっと母のだらしない一面や言葉を聞きたかったなと感じます。
このように、今振り返ると母に「こうしてもらいたかった」という事はいろいろあります。
でも、今とは時代が違うので、母の子育てが間違っていたとは思いません。

だから、むしろ母はかなり頑張って子育てをしてくれたと思いますし、そのことに感謝もしています。
ただ、繊細すぎる性格の私には、もっとこうして欲しかったという思いがあるのも事実です。
そして、母の私への接し方が違っていれば、もっと家族と話すことができていたかもという思いもあります。

繊細すぎる性格の娘の気持ちって、なかなか理解するのは難しいと思います。
本当に些細なことで傷つきますし、ちょっとしたことで落ち込んでしまいます。
そして、自分を否定しがちなので、小さなことで何年も家族と話さなくなったりするんですよね。
だからあの時の気持ちを振り返ると、娘の立場としては、どんな自分も否定せず受け入れてほしい。
それが心からの願いです。
否定せず笑いかけてもらえたら、家族とも話せていたと思います。
繊細すぎて、恥ずかしくて緊張をしやすくて、自分を否定しまう気持ちを理解してもらえてたらと思います。
娘が話さなくなった…家族と話さない繊細な娘の気持ちって?―おわりに―
母は私が話さなくなって数年すると、私に挨拶するのをやめました。
私が話さなくても「おはよう」とか「お帰り」は言ってくれていたのに、それを言わなくなったんですよね。
その時私は、表向きは無反応でしたが、内心はとても傷ついていました。
どのような気持ちで母は挨拶をやめたのか分かりませんが、愛想を尽かされたような虚しい気持ちになったんですよね。
そしてその時に、母は私の気持ちを全く理解していないんだなと改めて思いました。
母からすると、私は挨拶をされなくても気にしてない様子に見えたかもしれません。
でも無反応でも、心のなかは傷ついていたんですよね。
そんな気持ちを母にわかってもらいたかったなと思います。
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