常に時間に追われている感覚から抜け出せた私の方法
いつも忙しくて、時間に追われる。
時間に追われるのがストレス。
そんな状態だと、つらいですよね。
実は私もずっと「常に時間に追われている感覚」から、抜け出せずにいました。
でも最近、そんな感覚から、抜け出せるようになったんです。
それは、ちょっとしたことを変えることで出来ました。
そして、思っているよりずっと簡単なことだったとなと思います。
そこで、何十年も時間に追われている感覚から抜け出せなかった私が、そこから解放された方法をお伝えします。
目次
何をしても時間に追われる
私は昔から、何をしても時間に追われていました。
学生の頃は、勉強や部活で忙しかったので、いつも時間に追われている感覚でした。
社会人になってからは、仕事中心の生活で、いつも忙しくて時間に追われて。
そして結婚して出産し、仕事と家事・育児をするようになると、今までで一番忙しくなり、さらに時間に追われるようになりました。
それから会社を辞めて、在宅で仕事をして、家事や育児をするようになりました。
そうすると、前より時間に余裕ができるので、やっと時間に追われることがなくなると思ったんですよね。
それなのに、前と変わらず、常に時間に追われる毎日。
以前よりも、ゆっくりとコーヒーを飲む時間もあるし、好きなドラマを見る時間もある。
それなのに、なぜか常に時間に追われる。
時間に追われるのが辛い。
時間に追われるのがストレス。
そんな感覚が、全く変わりませんでした。
もともと時間に追われるのが苦手で、時間に追われる感覚がとても嫌だったんです。
それなのに、いつまで経っても時間に追われ続ける。
常に時間に追われている感覚から解放されるには?
そんな私が変わることができたのは、娘が不登校になったことがきっかけです。
小学生の娘が不登校になって、いろいろ考えました。
繊細すぎる性格から、体調を崩して不登校になった娘。
そんな娘が元気になるために、私ができることは…?
いろいろ考えて、娘に接しているうちに、娘はどんどん元気になっていきました。
そして気づいたんです。
娘に言ってることは、私にも当てはまる。
私が、娘によく言ってきたことはコレです。
疲れたら休めばいい(休むことも大切)
「疲れたら休めばいい」って当たり前ですよね。
でも、意外とできていなかったりしませんか?
休むことに罪悪感があったり、「ここまでは終わらせよう」と無理して仕事を進めたり。
ただ、結局は疲れているのに、何かをしても効率が悪いし、質が落ちます。
それだったら、休憩をしてから取り組んだ方が、時間も掛からないし、質がいいものができます。
休憩を取ることは、次に頑張るために必要なこと。
だから罪悪感をもつ必要はないし、疲れたら休むのが当たり前。
そう娘に声をかけ続け、私自身もそう強く思うようになりました。
そうすると、心から休むことができるようになったんです。
そうしてゆっくり休めると、心が落ち着くんですよね。
そして、時間に追われて焦る気持ちも、スッと和らぎました。
また、そんな風に娘に声をかけ続けたら、娘は自分で上手く調節をしながら、勉強や習い事などをするようになりました。
そうすると、不思議なもので、娘に物事を継続する力がついたんです。
そしてそんな娘を見て、私もコツコツと物事を進めることの大切さを感じ、
仕事やその他のこともコツコツと積み重ねるようになりました。
そうしてそのことが、実は時間に追われる感覚から解放されることに繋がったんです。
物事をコツコツと進める
物事をコツコツと進めるって、意外と難しいです。
なかなか前に進まないので、ちょっとイライラしたりするんですよね。
でもコツコツと物事を進めると、確実に1歩1歩 進んでいく感覚を得れます。
そして、気づいたときには大きな1歩になっていて、大きな達成感と満足感が得れます。
それに、毎日少しずつ物事を進めるので、無理して焦ることがないんですよね。
このことができるようになると、なぜか自分に自信もついてきました。
そして、自分に自信がついてくると、ちょっと失敗しても焦らなくなります。
自分なら何とか解決できる。
そう思えるようになったんです。
そうして、毎日を過ごしていくうちに、時間に追われないためには、次のことも必要だなと感じるようになりました。
ルーティーンを作り過ぎない
私は在宅で仕事をしているのですが、朝起きてからのルーティーンが決まっています。
まず初めに○○をして、次に○○をして、など自然と順番が決まってきたんですよね。
でもこれに縛られ過ぎると、予定外のことが起きたときに焦るんです。
仮にそれがたいしたことではなくても、「遅れている」という部分に注目してしまって、
自分を追い込んでしまっていたんですよね。
だから、細かくルーティーンを決め過ぎない方が、焦らなくてすむと気づきました。
応用力をつける
さっきのルーティーンを作り過ぎない、と似ていますが、あえていつもと違う順番で仕事をして、応用力をつけました。
私の場合、大抵は一番大変な仕事を早めに終わらせていました。
一日のなかでも、最低でも午前中には終わらせるようにしていたんです。
でもそうすると、大変な仕事が午前中に終わらなかった場合、かなり焦るんですよね。
だからあえて、パターンを変えて仕事に取り組んでみたんです。
例えば、その日の予定に合わせて、簡単な仕事を午前中に終わらせて、午後から大変な仕事に集中するなど。
そうすると、案外どんなパターンでも、仕事を終わらすことができると気づくんですよね。
そしていろいろなパターンをこなせるようになると、予定外のことが起きても焦らなくなりました。
そうすると、自分に自信がついて、自然と時間に追われる感覚から解放されました。
ゆとりを持って予定を立てる
これは言うまでもないですが、予定を立てる時はゆとりを持たせる。
こうすることで、少し予定が狂っても調整できます。
そうすると焦らないので、時間に追われることもなくなりました。
これまでの内容をまとめると、
- 疲れたら休めばいい(休むことも大切)
- コツコツと物事を進める
- ルーティーンを作り過ぎない
- 応用力をつける
- ゆとりを持って予定を立てる
これらを実践することで、私は時間に追われる感覚から解放されました。
娘の不登校をきっかけに、いろいろと考えるようになり、たくさんのことに気づかされましたよ。
追いかけているのは時間ではなく自分自身
そうして思ったんです。
今まで、常に時間に追われると思っていましたが、誰も追いかけてなんかいなかったんですよね。
ただ、自分で自分を追い込んでいただけでした。
でも、自分で決めた目標を達成できなくても、別の方法でカバーできる。
そう思えたとき、時間に追われることから解放されました。
要は、自分に自信がなかっただけかもしれません。
自分に自信がないから、物事が予定通り進まないと焦っていたし、何とか予定通りにしないとと思っていたんだと思います。
でも、多少は予定が狂っても大丈夫。
ちょっと問題が起きても別の予定を立てればいい。
そう思えるようになって、心にゆとりができました。
そして、心のゆとりができると、休むときはしっかりと休むことができるようになるので、また頑張る力が湧くんですよね。
時間に追われていたときは、本当につらかったです。
でも、娘の不登校をきっかけに、いろいろ考えることができて、心のゆとりを得ることができて本当に良かったです。
常に時間に追われている感覚から抜け出せた私の方法―おわりに―
私は昔からコツコツと物事を進めることが苦手でした。
どちらかというと、面倒なことは一気に終わらせたくて、徹夜してでも終わらせていました。
でも、コツコツと勉強をする娘の姿を見て、これではダメだと思ったんです。
それに、コツコツと進んでいるようでも、最後には大きな目標を達成できるんですよね。
子供から大切なことを教えてもらえて、本当に良かったです。
まるで、私が書いたのか!?と思ってしまうくらい、ぷーこさんと似た感覚に疲弊する日々を何十年と続けています。
気持ちの持ちようだ、だれも急かしてなんかいない、と自分に言い聞かせはするものの、
やはり今でも遠くの信号が青になると渡るのに間に合いたくて走り出さずにいられなくなったり、
一日の自分の仕事をきっちり順番通りにこなしたいのに予定外の仕事が増えたり中断されることが起こると焦燥感が酷く、疲弊します。
晩御飯の支度なども、家族が揃う時間を見計らいながらのんびりと進める中で急に皆が帰宅したりすると途端に焦らされることになり頭の中がパニック状態に。
頭の中ではいつも運動会の徒競走のBGMが流れています。
知らないうちにルーティン化していることも沢山あります。増え続けるルーティンを必死にこなし、勝手に疲れています。
でも、私を追いかけているのは「時間」ではなくて「私自身」なのですね。
確かにその通りです。誰にも急かされても強要されてもいないのに、勝手にいっぱいいっぱいになっているのですものね。
私もぷーこさんのように「心のゆとり」を持てるようになりたいです。
こちらで読んだことを参考にします。ありがとうございました。
かぼさん、コメントありがとうございます。
共感していただけて、うれしいです。
「運動会の徒競走のBGM」が流れる気持ち、とてもわかります。常にあの曲が流れているくらい、何かに急かされる。
本当につらいですよね。
そんなとき、「自分を追い詰めないように」とか「誰も責めていない」など、頭ではわかっていても、焦るんですよね。
でも、本当の本当に自分を大切にしてほしいな、と思います。結局のところ、自分が幸せになることが、家族のためでもある。
そう実感することを繰り返して、私は気持ちを落ち着けることができました。
ほんの少しでも、ブログがお役に立てたのなら幸いです。
かぼさんが穏やかな日々を送れること、願っています。